共有

第107話 孤独の影③

作者: 花柳響
last update 最終更新日: 2026-01-27 18:00:22

「……否定はしない」

 永遠にも似た沈黙を破り、征也が言った。

 感情の一切ない声だった。

「え……?」

「月島の債権を買い叩いて、会社をバラバラにしたのは俺だ。……結果として、お前の父親を追い詰め、死への引き金を引いたのも、俺かもしれない」

 顔色ひとつ変えず、ただ事実だけを並べる。

 そこには言い訳も、許しを請うような響きもない。「お前のためだった」とか、「仕方なかった」とか、私がどこかで期待していた言葉は、ついに一言も紡がれなかった。

 視界がふらりと揺らぎ、足元の床が抜け落ちたような感覚に襲われる。

 心のどこか片隅で、信じていたのだ。彼が「誤解だ」「俺じゃない」と必死に首を振り、震える私を抱きしめてくれることを。

 けれど、彼は認めた。

 私の父を殺したことを、真っ向から。

「……どうして」

 景色が歪み、熱い滴が頬を滑り落ちる。

「どうしてそんな酷いことを……。私たちが、何をしたっていうの? ただ、隣の家に住んでいただけなのに……」

「お前は何もしていない」

 征也が一歩、こちらへ踏み出した。革靴が床を叩く硬質な音が、やけに大きく響く。

「だが、お前の父親には力がなかった。経営者として生き残る器じゃなかったんだ。……俺が手を出さなくても、遅かれ早かれあの会社は潰れていた」

「……っ!」

 父を愚弄された怒りで、頭の中が真っ白になる。

 私は弾かれたように立ち上がり、目の前の男の頬を張ろうと右手を振り上げた。

 風を切った手のひらは、しかし、頬に届く寸前で止められた。

 ガシッ。

 万力のように強い力で、手首を掴まれている。

 彼の手のひらから、焼けるような体温が流れ込んでくる。こんなに最低な男なのに、その熱に身体が反応してしまう自分が疎ましい。

「離して! ……汚い
この本を無料で読み続ける
コードをスキャンしてアプリをダウンロード
ロックされたチャプター

最新チャプター

  • 没落令嬢の家政婦契約 ~冷酷CEOは、初恋を逃さない~   第108話 孤独の影④

     不意をつかれた征也が、よろりと一歩後退る。 その隙に私はベッドの反対側へと逃げ、喉が裂けんばかりに叫んだ。「もう触らないで! 二度と、私に触れないで!」 金切り声が、広い部屋に反響する。「気持ち悪い! あなたの手も、声も、匂いも……全部! 吐き気がするのよ!」 自分の体を抱きしめ、二の腕に爪を立てた。 彼に触れられた感触を、皮膚ごと削ぎ落としてしまいたかった。「……っ」 征也の動きが、ぴたりと止まった。 彼は、見えない拳で殴りつけられたような顔をしていた。 いつも完璧な鉄面皮を張り付け、感情を殺していた彼の表情が、一瞬だけ、音を立てて崩れ落ちたように見えた。 漆黒の瞳の奥で揺れていた暗い炎が、ふっと消える。 代わりに残ったのは、魂が抜け落ちたような、底知れぬ虚無だった。 彼は自分の手を見つめた。 私を抱きしめようとして拒絶された、行き場のないその手を。 指先が、微かに震えている。「……そうか」 息の詰まるような沈黙の後、彼が絞り出した声は、ひどく掠れていて、まるで別人のようだった。「……気持ち悪いか」 それは問いかけではなかった。ただの、絶望的な確認。 彼はゆっくりと手を下ろし、強く拳を握りしめた。爪が掌に深く食い込み、関節が白く浮き上がるほどに。 彼が今、何を考えているのか。混乱した私の頭では理解できない。 ひどく傷ついているように見えるのは、私の見間違いだろうか。 父を殺した冷血漢が、たかが手に入れた女一人に拒絶されたくらいで、傷つくはずがないのだ。 きっと、自分の所有物が思い通りにならなくて苛立っているだけだ。そうに違いない。 征也は深く息を吸い込み、再び冷徹な仮面を被り直した。 私を見る目は、もう何の熱も帯びていない。 氷のように冷たく、そしてどこまでも遠い目。「いいだろう」 彼は、床に散らばった書

  • 没落令嬢の家政婦契約 ~冷酷CEOは、初恋を逃さない~   第107話 孤独の影③

    「……否定はしない」 永遠にも似た沈黙を破り、征也が言った。 感情の一切ない声だった。「え……?」「月島の債権を買い叩いて、会社をバラバラにしたのは俺だ。……結果として、お前の父親を追い詰め、死への引き金を引いたのも、俺かもしれない」 顔色ひとつ変えず、ただ事実だけを並べる。 そこには言い訳も、許しを請うような響きもない。「お前のためだった」とか、「仕方なかった」とか、私がどこかで期待していた言葉は、ついに一言も紡がれなかった。 視界がふらりと揺らぎ、足元の床が抜け落ちたような感覚に襲われる。 心のどこか片隅で、信じていたのだ。彼が「誤解だ」「俺じゃない」と必死に首を振り、震える私を抱きしめてくれることを。 けれど、彼は認めた。 私の父を殺したことを、真っ向から。「……どうして」 景色が歪み、熱い滴が頬を滑り落ちる。「どうしてそんな酷いことを……。私たちが、何をしたっていうの? ただ、隣の家に住んでいただけなのに……」「お前は何もしていない」 征也が一歩、こちらへ踏み出した。革靴が床を叩く硬質な音が、やけに大きく響く。「だが、お前の父親には力がなかった。経営者として生き残る器じゃなかったんだ。……俺が手を出さなくても、遅かれ早かれあの会社は潰れていた」「……っ!」 父を愚弄された怒りで、頭の中が真っ白になる。 私は弾かれたように立ち上がり、目の前の男の頬を張ろうと右手を振り上げた。 風を切った手のひらは、しかし、頬に届く寸前で止められた。 ガシッ。 万力のように強い力で、手首を掴まれている。 彼の手のひらから、焼けるような体温が流れ込んでくる。こんなに最低な男なのに、その熱に身体が反応してしまう自分が疎ましい。「離して! ……汚い

  • 没落令嬢の家政婦契約 ~冷酷CEOは、初恋を逃さない~   第106話 孤独の影②

     怒鳴るわけでもない。淡々とした、部下に指示を出す時のような声色。 それが余計に、彼の冷酷さを際立たせていた。 父の死に関わる書類を、まるでただの業務報告書のように扱う態度。「……嫌」 喉が張り付いて、声が擦れる。 それでも、睨みつける視線だけは逸らさない。「返さない。……これ、お父様の形見よ。あなたが奪った、お父様の命そのものじゃない」「形見だと?」 征也の眉が、わずかに動く。 彼は差し出した手を下ろすと、どさり、とベッドの端に腰を下ろした。 マットレスが大きく沈み込み、彼の体重が生々しく伝わってくる。 近い。 ムスクと煙草の混じった匂い。数時間前まで、安心できる香りだと思って肺いっぱいに吸い込んでいたそれが、今は腐った花のように鼻につく。「それは、ただのビジネスの記録だ。……いちいち感情を持ち込むな」「ビジネス……?」 頭の中で、何かが切れる音がした。「人を自殺に追い込んでおいて、それがビジネス? 会社を乗っ取って、バラバラに解体して……それがあなたの言う仕事なの?」 私はファイルを彼に向かって投げつけた。 バサリと紙束が散らばり、あの『清算完了』のメモが、征也の膝の上に舞い落ちる。「答えて! これがお父様への復讐だったんでしょう? 4年前の、私への腹いせに……私の家を潰そうと計画したんでしょう! 『清算』って、そういう意味なんでしょう!」 征也は膝の上のメモを拾い上げ、目を細めた。 その瞬間、彼の瞳にさざ波のような揺らぎが走ったのを、私は見逃さなかった。 図星なのだ。「……違う」 彼は短く否定した。けれど、その声にはいつもの傲慢な響きがない。「何が違うのよ! 証拠はあるの! 日付も、サインも、あなたの筆跡も……全部ここにあるじゃない!」

  • 没落令嬢の家政婦契約 ~冷酷CEOは、初恋を逃さない~   第105話 孤独の影①

     窓ガラスを叩く雨の音が、不快なリズムで鼓膜を揺らす。 キングサイズのベッドは一人には広すぎた。私はシーツの端で膝を抱え、ただじっとしている。 指先が冷たい。氷水に浸したあとのように感覚がないのに、胸の奥だけが嫌な熱さで燻っている。 目の前には、書斎の金庫から持ち出したファイルが散らばっていた。 『月島ホールディングス解体計画書』。 そして、見覚えのある筆跡で記された『復讐完了』という走り書き。 これ以上ないほど分かりやすい答えだった。 彼が私に向けてくれた甘い視線も、触れる指の熱も、すべてはこの瞬間のための伏線。 父から会社を奪い、死に追いやり、その娘を金で買って飼い殺しにする。 それが、天道征也という男の描いたシナリオ。「……っ、う……」 喉から、嗚咽ともため息ともつかない音が漏れる。 悔しい。 あんな男に心を許しそうになった自分が、どうしようもなく惨めで、許せない。 昨夜、このベッドで彼に抱かれながら感じた安らぎは、ただの錯覚だった。その甘さに目を眩ませ、父を殺した男の腕の中で眠っていたなんて。 首元のサファイアが、冷たい異物となって鎖骨に食い込んでいる。 引きちぎりたかった。けれど留め具は頑丈で、爪を立てても外れない。この首輪がある限り、私は彼の所有物であり続ける。その事実を突きつけられているようで、吐き気がした。 その時。 ピピッ、と電子音が静寂を裂いた。 ドアロックが解除される音。 息が止まる。 来る。 ドアが重々しく開き、廊下の薄明かりを背負って征也が入ってきた。 手にはカードキー。彼は部屋の惨状――散らばった書類と、蒼ざめた私――を一瞥しても、表情ひとつ変えない。 背手でドアを閉める。 カチャリ。再び密室が出来上がる音が、心臓を雑巾絞りのように締め上げた。「……莉子」 名前を呼ばれる。 いつもなら、その低い声だけで胸が跳ねたはずなの

  • 没落令嬢の家政婦契約 ~冷酷CEOは、初恋を逃さない~   第104話 疑惑の種④

    「……触らないで。二度と、私に触れないで!」 私はファイルを抱えたまま、彼を避けるようにしてドアへと走った。 征也の手が伸びる。 私の二の腕を掴もうとする。「待て! 聞け!」「嫌! 人殺し……っ! 悪魔!」 私は渾身の力で彼の手を振り払った。 バチン、と乾いた音が響く。 征也の手が空を切り、力が抜けたように垂れ下がった。 その一瞬の隙をついて、私は部屋を飛び出した。 裸足で廊下を駆ける。 ペタペタと鳴る足音が、やけに耳につく。 後ろから追いかけてくる気配はない。 彼は、書斎の中に立ち尽くしたまま、動こうとしなかった。 リビングを抜け、階段を駆け上がる。 息が切れる。涙で前が見えない。 部屋に戻り、鍵をかける。 ベッドの隅にうずくまり、盗み出したファイルを胸に抱きしめた。 これが真実。 これが、蒼くんが言っていた「戦利品」。 私は、父を殺し、家を奪った男のベッドで、愛された気になっていた。「……許さない」 暗闇の中で、呟く。 愛していた分だけ、ドス黒い感情が胸の奥で渦を巻く。「絶対に許さない……天道征也……!」 首元のサファイアのネックレスを引きちぎろうとしたけれど、留め具は外れない。 まるで、彼の罪ごと私を縛り付けて離さないかのように。 私は声を押し殺して泣き叫んだ。 窓の外では、いつの間にか雨が降り始めていた。 四年前のあの日と同じ、すべてを洗い流すような、冷たい雨が。 ◇ 書斎に残された征也は、砕けたクリスタルの破片が散らばる床に、立ち尽くしていた。 開けっ放しの金庫が、ぽっかりと黒い口を開けている。 そこから消えたのは、かつて自分が強引に買い上げた『月島ホールディングス』関連のファイルだ。「…&

  • 没落令嬢の家政婦契約 ~冷酷CEOは、初恋を逃さない~   第103話 疑惑の種③

    「ひどい……ひどすぎるよ……」 涙が溢れて止まらない。頬を伝う雫が、冷たく感じる。 父を殺したのは、病気じゃない。 征也だ。 彼が、父の誇りも、希望も、すべて奪い取って殺したんだ。 そして今、彼はその娘である私を金で買い、飼い殺しにして楽しんでいる。 『愛してる』とか『守ってやる』なんて甘い言葉を耳元で囁きながら、腹の底では私を嘲笑っていたんだ。 愚かな女だと。父親と同じように、簡単に騙せる無能な人形だと。「……っ、うぅ……」 足の力が抜け、その場にへたり込んだ。 冷たい床の上で、ファイルを抱きしめて嗚咽する。 悔しい。 憎い。 そして何より、そんな男に抱かれ、心を許しかけていた自分が、死ぬほど許せない。 私の身体の奥には、まだ彼の熱が残っている。 首筋には、彼がつけたキスマークが焼き付いている。 それら全てが、汚らわしい焼き印のように思えて、皮膚ごと爪で剥ぎ取りたい衝動に駆られた。「……誰だ」 不意に。 背後から、闇を切り裂くような声がした。 ヒッ、と小さく息を呑む。 心臓が早鐘を打ち、全身の毛穴という毛穴から冷や汗が噴き出した。 振り返りたくない。 でも、背中に突き刺さる視線の重圧が、私を無理やり振り向かせた。 書斎の入り口に、人影が立っている。 逆光で表情は見えない。 けれど、その長身のシルエットと、闇よりも深く重たい気配は、間違いなく天道征也だった。 彼は動かない。 ただ、じっと私を見下ろしている。 私が抱えているファイルと、開け放たれた金庫、そして床に散らばった写真。 そのすべてを見て、状況を理解したのだろう。 逃げられない。 言い訳もできない。 私は、彼が最も隠しておきたかった「罪」を暴いてしまったのだ。 カツ

続きを読む
無料で面白い小説を探して読んでみましょう
GoodNovel アプリで人気小説に無料で!お好きな本をダウンロードして、いつでもどこでも読みましょう!
アプリで無料で本を読む
コードをスキャンしてアプリで読む
DMCA.com Protection Status